難攻(難航)不落!!?進め!豊田丸!!

で。
それをより多くの方に伝えていきたい、感動させたいという気持ちから話術や民謡など時間を惜しまず訓練しました。

一概に答えは出せませんが、必ずしや自分にも、家族にも
決して後悔のない航海(人生)を送りたい!送って見せる!とどんな苦難が押し寄せてきて
も、立向かい続けています。
でも・・そんなに甘くはないのが人生

私は結婚して、わずか3年のうちに2児出産、別居、離婚とだいぶ忙しい年月を経て、
10数年シングルマザーとして、幼い二人の乗組員と共に漕ぎ出した船を今も漕ぎ続けています。
シングルマザーという航海は、若いうちは体力的にも多少の無理も利き、少々の荒波は何とか乗り越えて来れました。
しかし、三十路も終盤なると、気持ちはあっても、身体が、逆に身体は健康だけども気持ちが、と徐々に舵のバランスが崩れ始め、
漕いでも漕いでも前へ進まなくなり、焦るばかりで生きていくことへの疲れや不安を隠しきれなくなっていました。
そのうち笑いも無くなり、涙さえ出なくなって。
このままだと、沈没するのも時間の問題、幼い乗組員はあっという間に大きくなり完全にこの船は積載オーバーでした。
船の大改築
自業自得と笑う人もいました。
イタチごっこのように問題や課題という荒波が押し寄せ、親としての器量、責任の大きさ・重さを試される。
乗組員も自我が芽生え、成長とはいえども、舵取りの妨げになる事態も頻繁に増え、
とうとう舵を取る気力さえも崩れました。

男親の威厳、女親の包容、社会での力量、女性としての醍醐味、
なんとかこなしてきたつもりでしたが、両立はあきらめました。
とにかく、これ以上航海の妨げを人のせいにしたり、言い訳したりすることは時間の無駄。
生き方を変えるしかない。
まずは、病気をしない、生き抜く体力、精神力を見直す。
色々考えました。
『仕事が体作りに貢献する』
これに行き着きました。
どうやって?
インストラクター系だろうな・・
そう模索しながら、1つ、興味深いサイトが目に入ってきました。
『ハーブヨガ』
ヨガか・・・

私は決してお世辞でも身体が柔らかいとはいえない鋼鉄ボディで、インストラクターになるにはかなりの努力が必要と感じつつ、読み進めていきました。
「ほほ~・・スゴイなこれ」
それはそれは、他のインストラクター系サイトとは全く違った、
『生き方を改革していくためのヨガ』
というもの。
そこには講師の方の様々な思いやストーリー、目指していることがギッシリ綴られていて、
読めば読むほど私には共感することばかりで驚きました。
気が付いたら、受講申し込みまでしていて・・・。
一旦、クタクタのボロ船は『ハーブヨガ』という港にて、
修復・進路の見直しを図ることとなりました。

ここから、この船の生き方・考え方は大きく変わることとなります。
『ハーブヨガ的生き方』は、失う恐れよりも、これから獲るものへの希望や野心を抱かせてもらえる、難航を乗り越える有力なエンジンとなりました。
そして、そのエンジンの燃料として、その精神や理念がもっとも近いボディーケアの『タイ古式』を習得し、
ハーブヨガの理念のもと行うボディーケアサービスというものを船の新たな設備としました。

清水寺の大舞台から飛び降りるような気持ちを抱きながらも、
一念発起しての船の大改築は、
乗組員の頭の上には、「!!!」と「???」がたくさんついていましたが、
それぞれの生き方・役割・責務の再構築となりました。

そして、いよいよ開業し、新たな航海の方法で再出港を果たしました。
『自営業』という浮袋が少ない船になりましたが、
新たな『生きるための方法』という帆を立て、
『逆風もエネルギーに変える寛大な思考』で、
乗組員全員の飛翔ある自立という港へ漕ぎ続けていきます。

もちろん、これまでのステップを踏むにあたり、本当に多くの支えがあって、成し遂げられたことです。
その感謝の念こそ最大のエネルギーでもあります。
ゆえに言葉で表すよりも、
ひとまずゆっくりでも荒波に負けない航海を果たし、
目標とする港へ就航していく成果をもって、恩返しのカタチとしたいと思っております。

明日は我が身!
若年性の重大疾病が怖すぎる!




体内年齢のアンチエイジング




体温をあげるためには?




グランシーの名前の由来






お着換えでもタイを満喫♪
ヨガだって手ぶらでどうぞ!
タイでのリラックスウェアでハーブボールを使ったヨガ・マッサージに適した素材のものや通常のスウェット類など、着替えのご用意もあります。
(タイパンツはウエスト130センチ位まで対応してます。男性には夏向けリラックスウェア上下のご用意。)
サービスティーの他にもお茶、コーヒー、紅茶、スポーツドリンクもありますので、身一つでお越しになっても大丈夫です。

サロンのある弥生町について
サロンのある弥生町は西千葉というエリアのなかの町の1つです。
一般的な印象は学生の街、閑静な住宅街です。
弥生町と聞いて西千葉!とピンと来る方は同じ市内にいてもわからない方のほうが多いかもしれません。
西千葉といえば、首都圏有数の総合国立大学、千葉大学西千葉キャンパスがシンボル的存在です。
西千葉のエリアの大半を占めています。サロンもこの大学の正門の目の前です。
旧陸軍鉄道連隊跡の国有地だったことから千葉大学を始め、幼稚園・小・中・高・大学やなど教育施設が多く立ち並び、文教エリアとして凛とした空気が漂よっています。

駅を挟んで反対側の駅前には、マロニエ通りというおしゃれな飲食・ショッピング街があり、小パリといった景観です。その周囲に別荘地をルーツとする閑静な県内有数の高級住宅地が広がっています。
その昔、この西千葉エリアのすぐ近くに国道14号線が通っているのですが、明治時代以降埋め立てが始まる昭和30年代まではこの辺りまでは海だったそうです。

千葉海岸と呼ばれ、海水浴、潮干狩りなどが出来る避暑地・観光地としてにぎわいを見せてたといいます。
また、サロンの最寄りの京成みどり台駅やお隣の西登戸駅周辺は海岸近くの高台になっていたことから、海の眺望とクロマツの林が美しく、政財界人や文化人などが集う別荘地としても発展し、また、名士・文人達にも愛された地で、森鴎外や島崎藤村といった名高い文豪が滞在・執筆にいそしんだそうです。
それが現在も邸宅街の礎となり、今でもこの周辺には旧海岸線の名残のクロマツ林や邸宅街の屋敷林に当時の面影を見ることができるといいます。

しかし、どうして、私がこの弥生町にサロンをオープンしたかというと・・・、とっておきのお話があるんです!
なんで弥生町(西千葉)で開業?
私はこの西千葉の足跡を知って、だからこの地にサロンを開く運びになったんだろうな、と深く思うところがあります。
というのも、実は物件探しをしていた当初は、千葉の中心地で企業やデパートが林立するビル街を選んでいました。
なんせ、初めてお店をだすのだから!と人通りの多いところへ、と考えていたからです。
でも、めぼしい物件が見つかって、いざ契約へという矢先に、不遇な事態が起きました。
物件のオーナーが失踪?蒸発?してしまったんです。
待てども待てどもオーナーは出てきません。
落胆しながらしかたなく、改めて物件探しをすることに。
けれど物件数はあるものの、なかなか希望に合うところが見つからず、もう、千葉の中心地では無理なのかな、とあきらめてた時、ふと私の視線を止める1つの物件がありました。
中心地から駅1つ外れたここ、西千葉でした。
でも学生の街、住宅街。
初めてお店を出すには、少し躊躇があったものの、何か気になるところでした。
少し考えました。
そのうち、私が提供したいサービスとは何なのか?と考えてみると、西千葉はなんだか私の描くサロンの意向と共通するところが結構あるんだな・・・ととても親しみが出てきました。
弥生町は今も昔も多くの人々に愛される土地です。
何と言っても、ここに来ることで、癒されたり、元気を分けてもらえるのです。
だから、私のサロンもその恩恵にあやかって、癒しの活力の源となる場所とするには絶好の地なのでは!と思えてくるようになったのです。
私は市街地じゃなきゃ!という固定観念は捨てて、この地で夢を実現させることに決めました。
当初の場所でサロン開設に至らなかった事は、「そこじゃないよ!」と何らかの導きあってのことかもしれません。
私は導かれしこの地で、人生の再出発をすると共に、訪れるすべての方々の癒しの別荘地と呼ばれるようなサロンをつくりあげたいと思います。